第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ系難民の亡命を手助けした外交官根井三郎が発給したとされる日本通過ビザ(査証)が米国で初めて見つかったことが話題になっています。
根井三郎は宮崎市佐土原町出身であり、この根井三郎の功績をよりたくさんの人に知ってもらうために宮崎市と連携する姿勢を検討しているようです。
この記事では、宮崎市出身の根井三郎の功績や、それに関わる歴史について紹介します。
宮崎市出身の根井三郎の歴史と功績について
根井三郎の功績を紹介する前に、まずは歴史背景についてみていきましょう。
1939年、ドイツ軍によるポーランド侵攻がはじまり、第二次世界大戦が勃発。
当時ポーランドには、たくさんのユダヤ系住民が住んでいましたが、ナチス・ドイツとソ連からの迫害や脅威から逃れるために、リトアニアにある日本領事館に押し寄せます。
リトアニアの「在カウナス日本領事館」の領事代理であった杉原千畝は、人道的な立場で要件を満たしていないユダヤ人難民であっても、日本通過ビザを発給しました。
日本通過ビザを手に入れたユダヤ人難民たちは、シベリア鉄道を利用して、ウラジオストクで連絡船に乗り継いで、日本を目指します。
そして1941年、多数のユダヤ人難民への対応に困った外務省は、「在ウラジオストク日本総領事代理」である根井三郎に対して、ビザをしっかり検査し、要件を満たさない者は日本行きに乗船させないよう命じます。
しかし、根井三郎はこの対応に異議を唱え、困難を抱えるユダヤ人難民たちを敦賀へ向う船に乗せたのです。
根井三郎が「国際的信用から考えて面白からず」と外務省からの指示を拒絶した電文も外交史料館に残っています。
これまでは、杉原千畝が発給したビザに、根井三郎が署名し、日本通過を認める検印ビザは見つかっていました。
しかし根井三郎が単独で発給したビザは確認されていませんでした。
それが、このたびアメリカで初めて見つかったのです。
宮崎市出身の根井三郎を顕彰するさまざまな動き
この根井三郎の偉大な功績を多くの人に知ってもらうため、さまざまな取り組みや動きがはじまっています。
根井三郎の功績を広めるために、宮崎市民らで構成されている「根井三郎を顕彰する会」が発足され、会長は「自分の利益をかえりみることなく、人道的に行動した宮崎市生まれの外交官を誇りに思い、世界中の人に根井三郎の功績を知ってほしい」と話しています。
根井三郎の顕彰会が立ち上げられ、講演会やシンポジウムなども開催されており、素晴らしい功績を広めるための活動を実施しています。
宮崎市の知事である河野俊嗣知事は、県議会一般質問の中で、宮崎市などと連携して、根井三郎の顕彰を称える取り組みなどができないか、検討する姿勢を示しています。
今後、根井三郎の顕彰はどんどん広まっていくことが期待されますので、是非チェックしてみてください。
まとめ
宮崎出身者に、歴史に残る素晴らしい偉業を成し遂げた外交官がいたことがわかり、その功績が称えられています。
陰ながらユダヤ人難民たちを助けた根井三郎の功績は、今後世界中にも広まっていくでしょう。
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